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【小説】異国の寿司屋


日本から遥か遠くの異国の地に、一軒の寿司屋がある。
「あそこは、ウチの縄張りだ。さっさと乗り込んで追い出せ」
「それが、見るからに軽そうな扉なんですが、手で押しても開かない扉で……」
「情けねえな、おい」
 自身の苛立ちを見せ付けるように手の平でテーブルを強く叩き、フォークを乱暴に掴んで、目の前の皿に叩きつける。
 その勢いは凄まじく、分厚いベーコンを貫通し、平皿が二つに割れる。それに構わず、男は焦げて脂の滴り落ちるベーコンを丸齧りしながら、子分の返事を待つ。
「そう言われても、デーコン親分の頃とは時代が違ってですね」
「何が時代だ。お前ら平成生まれはそうやって、俺ら昭和世代を馬鹿にしやがる」
「馬鹿にしてませんって。と言うかその前に、西暦で言ってくださいよ。日本の元号で言われても、俺らには伝わりませんから」
「もう平成最後なんだぞ」
「何のことか分かりませんよ」
 親分は杯を呷り、何度もテーブルに叩きつける。
 その苛立ちをなだめるかのように、可憐な乙女がそっと近づき、酒をつぐ。
「おう、パクチーノか。彼氏のトムヤン君を見かけないが、風邪でも引いたのか」
「やだ親分さん。馬鹿は風邪引かないって言うじゃないですか。アイツは先日、タイに行きたいと言い出して、偽造パスポート片手に飛行機に潜り込んだんですよ」
「おう、そうだったか。で、無事に着けたのか」
「空港の警備員に見つかって、強制送還の準備中ですって。親分さんが指示したアレコレも発覚して、現在、余罪を調査されているところです」
「帰ってくるなと伝えてくれ。これ以上面倒ごとが増えたら困る」
 深く溜息をつきながら、デーコン親分は煙草を手に取る。手馴れた仕草でパクチーノが火をつけ、辺り一面に煙が広がる。
「まったく、情けない話だ。俺が若い頃は、海を渡って日本に行って、何でもやって大儲けしたもんだ。バブルだか何だか知らんが、ちょっと景気が悪くなったくらいで、ガタガタ騒ぐな」
「警察の取り締まりも厳しいんですよ」
「そりゃ当たり前だ。法律を守っていたら、この商売は成り立たん」
「脅して追い出すと、後が面倒なんです」
「けっ、お前らじゃ話にならん」
 床にツバを吐き捨て、テーブルを足で押しのけながら勢いよく立ち上がり、親分は周囲の者を鼓舞するように大声を出す。
「おう、誰でもいい。出向いてくる勇気のある奴は名乗り出ろ」
 誰からも返事はない。
 うつむきながら、親分はソファーに座りなおす。
「ちょ、ちょ、ちょ、そこで座らないで下さいよ」
「誰もやらないなら、仕方ないだろ」
「じゃあ、代わりに誰か行かせますから」
 その声に答える者はおらず、沈黙が続く。
「情けねえなぁ……。おい」
 苛立ちは落胆に変わり、親分は深い溜息をつき、内ポケットに手を入れる。
「分かった、分かった。タダでやれ、とは言わん。今回限りの特別ボーナスだ」
 無造作に札束を投げ、テーブルの上に皆の視線が集まる。
「おっと、手を付けるなよ。成功したら払ってやる。やりたい奴だけ名乗り出ろ」
「私がやります」
「ほう……。お前か」
 沈黙を破り、パクチーノが声を上げる。
「私に作戦があります。しかし、私だけでは実現できません。協力者が必要です」
「まぁ、言ってみろ」
「私の作戦はですね……」
「おい、そんなに近づくな。息が耳にかかりそうだ」
「ふぅーっ」
「誰が息を吹きかけろと言った。それを止めろと言っているんだ」
「じゃあ、現地に移動しながら話しますよ」
 そう言うと、パクチーノは親分の腕を取り、半ば強引に外へ連れ出す。
「なぁ、さっきの金って、どうなった」
「どの金ですか」
「俺がテーブルに放り投げた札束だよ。ちゃんと回収したか」
「いえ、誰も回収していませんよ。今なら盗み放題です」
「冗談じゃねえぞ」
「ここで戻ったら、私の作戦が台無しですよ」
 慌てて戻ろうとする親分を引きとめ、パクチーノは前進する。
「ほら、見えてきましたよ」
「あれか。あれが、寿司屋か」
「そうですよ」
「本当に寿司屋か」
「そうですよ」
「じゃあ聞かせてほしいんだが、さっきから俺が感じている違和感は何だ。俺は若い頃に日本に居たから、多少なりとも寿司屋について知っているつもりだ。寿司屋と言うのは、もっと清潔で、出入りする客も、しっかりした身なりをしているはずだ。値段だって、決して安くはない。にも関わらず、あの店から変なニオイがしているぞ」
「多分、ニンニクと豚骨の香りですね。慣れないと違和感を感じるかも知れませんが、店に入ってしまえば、すぐに慣れますよ。私の好きなパクチーだって、食べてしまえばオツなもんですよ」
「俺が聞きたいのは、そこじゃない。飲食店なのに出入り口付近に煙草の吸殻が散乱してるぞ」
「最近は煙草を吸える場所も減りましたからね。分煙の必要性は分かりますが、行き過ぎた嫌煙活動は考え物ですね」
「それ、俺に対する嫌味か」
「んもう、細かいことばかり気にするんだから。さっさと脅して、さっさと出て行ってもらいましょうよ」
「おいおい、ちょっと待て」
「なんですか、さっきから」
「物には順序がある。寿司屋と言うのはな、扉を開けると威勢の良い挨拶が店内に響いて、カウンター越しに粋な大将が話をしてくれるんだ。子分達の手前、脅して追い出せと言ったがな、いざこうして、店の前に来ると懐かしくなってしまってな……。そんな姿を見られたくないから、俺が出向くのは避けたかったんだが……」
「じゃあ、さっそく入りましょう」
「お、おい」
 平然とパクチーノは店の扉に手をかけ、引き戸を開けて店に乗り込むが、次の瞬間、口元に手を当てながら、大慌てで店から飛び出す。
「うぷっ……」
「ど、どうした」
「な、なんでもないです」
「お前が乗り込まねば話にならん。さあ、もう一度行って来い」
「いや、いや、いや、いや、無理、無理、無理、無理」
「だから、どうした」
 地面に膝を付き、涙目になりながら首を横に振り続けるパクチーノに追い討ちをかけるように、店の中から小さな缶が転がってくる。
「なんだ、これは」
 それを手に取り、中を覗き込もうとした親分の鼻に、強烈な悪臭が突き刺さる。
「ぐわっ」
 思わず缶を放り投げ、親分とパクチーノは転げまわって悶絶する。
「ねえ、無理でしょ」
「あれ、まさか酢豆腐じゃなかろうな……」
「なんです、それ」
「昔の日本にあったらしい。真夏の暑い日に、釜の中で放置された豆腐が痛んで……」
「食欲無くなるから、それ以上は止めて……」
「いや、酢豆腐なんて生ぬるいモンじゃねえ。そもそも、あれは実在しないはずだ。それに、あの缶は見覚えがある。まさか、世界一臭い缶詰と言われる……」
「おいパクチーノ、さっさと逃げるぞ。あれに手を出しちゃいけねえ。汁が服に付いたら、何度洗っても落ちないと言われるほど強烈な奴だ。くっ、完全に思い出した。俺が若い頃、そう、日本で芸人をやっていた時のことだ。当時のテレビ番組の罰ゲームとやらで、あれを食わされたことがある。じょ、冗談じゃないぞ。なんで、あの頃と同じ目に遭わなければいかんのだ」
「はぁー、はぁー」
 肩で息をしながら、なんとか立ち上がろうとする2人に、店の奥から声がかかる。
「おや、お帰りですか。あんたらの縄張りと分かっていたので、いつか、こう言う日が来ると思っていましたが、思っていたより、呆気ない終わり方ですね」
「始まってもいないのに、もう終わりだと」
 怒りに肩を震わせ、立ち上がろうとするが、両足に力が入らない。
「冗談じゃ、ねえぞ……。おいパクチーノ、お前の力を見せてやれ」
「ちょっと、親分。こんな時に、私に任せないで下さいよ」
「仕方ないだろ、間近で嗅いだせいで、まだ頭がクラクラする」
「作戦があるのに、このままじゃ……。あんた、私達と勝負しなさい」
「いいでしょう」
 暗闇の中から声がするが、その姿は見えない。店の奥から伸びた手には、開封済みの赤い缶詰が乗せられており、独特の臭気が放たれている。
「これを食べられる度胸があるなら、勝負を受けましょう」
「おい、またか」
 ふらつきながら立ち上がる親分をよそに、パクチーノは啖呵を切る。
「こんな生ぬるい手に負けるほど、私達はヤワじゃない。もっとピリピリした賭けに出ましょうよ。これなんて、どう」
「あれは……。なるほど、パクチーノの作戦か」
 もう一本の手が店の奥から伸び、指先がパクチーノを挑発する。
「ルールは簡単、お互いに、この缶詰に激辛唐辛子を振っていくだけ。振る回数は、1回から3回までとして、それ以外は認めない。振った合計回数が100回目に達した時点で、その人の負け。どんな要求でも聞いてもらう。これなら簡単でしょ」
「始めましょう」
 声の主は、店の奥から顔を出そうとしない。パクチーノが激辛唐辛子の入った小瓶を手渡すと、賭けが始まる。
「1、2、3」
 手馴れた様子で小瓶が振られ、パクチーノの手に渡る。
「4、5、6」
 手渡された小瓶を軽く振り、親分も同じく数を増やす。
「7、8、9、これでいいんだな」
「10」
「11、12」
「13、14、15、これでいいんだな」
 少しずつ数が増えていく。
「はい、次」
 パクチーノは手早く小瓶を渡していく。親分は次第に、彼女の言っていた作戦の意味を理解する。
「50、51、はい、次」
「52、これでいいんだな」
「53、54、55」
 寿司屋の店主も、不規則な数え方の真意に気づくが、手を止めることはできない。
「70、これでいいんだな。俺は勉強ができる方ではないんだが、幸い、頭のいい子分が隣にいる。このゲームのルールは単純。100回目に達した奴が負ける。まぁ、もう少し続けようか」
「71、72、これでいいんだな」
 余裕を見せる親分に、寿司屋の店主は追い込まれていく。
「94、これでいいんだな。いや、もう言う必要はない」
「95、96、97……」
 寿司屋の店主の手が震えだし、自身の負けが確定したことを悟る。
「98、あと2回です」
 微笑みを浮かべているパクチーノから唐辛子の小瓶を受け取り、親分は威勢よく小瓶を振り下ろす。
「99、100。これでいいんだな」

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